azamiさんのマスターズレポート
「2002秋 濱のマスターズ・ダブルス異聞」
(文責・azami)
マスターズとは何だろう。 友人が言いました。
きっと「名人」や「達人」たちが集まる大会でしょうね。
そんな大会に参加できるなんてすごい!
2002年秋、横浜馬車道(11月16、17日)で70人余がエントリーして開幕。
そこで見た、聞いた、感じたことを報告します。
![]() |
<再 会> 列島の北から、西から、東から、ぞくぞく選手が会場入り。朝のラケットボールコート前は「やーやー 元気ですか」「生きていましたね」、まるで田舎の同窓会の雰囲気でした。が、壁に張りだされた対戦日程を見る姿はプロ選手そのもの。「中華街」「伊勢崎町」リーグなどに分かれ、「たそがれ」(年長の部)はすでに熱きたたかいが始まっています。北海道からただ一人参加の片桐さんチームが四ッ谷・杉本ペアを気迫で圧倒しました。関西代表の杉本さんは同日開催の西日本新人戦を気遣いつつ、初戦は涙涙…。女子も「赤い靴」「かもめ」リーグが華やかに、したたかにプレーボール。 |
<真 剣> 曇天の関東平野。コートは迫力、真剣味抜群です。「ワイルドカード」導入は1、2点の得失点差で決勝進出がかかります。植村チームと新潟・滝沢チームの試合はまさにそれ。植村チームが2点目奪取のとき、まるで優勝したかのような大歓声。ひざ痛に堪えた滝沢選手にも、館内から惜しみない拍手がわきあがりました。 |
|
![]() |
もう1試合、常勝の上野・板谷ペア(JOY)と中嶋・木村ペアのMIX決勝戦も手に汗握る熱戦でした。最終盤、上野チームの鋭角ショットが一瞬、決まったに見えた。が、直ちに試合再開。シーソーゲームの激戦、中嶋選手が3回も宙を跳び、危機を脱出しついに粘りの逆転優勝です。中嶋さんは女子Wとあわせ、ダブル優勝に輝きました。レッスンでの、あの「1秒半待って」の気迫が心に沁み入ります。 |
![]() |
<NIIGATA> 表彰式も圧巻、最多出場記録の地元・横浜の杉本さん。若さあふれるプレーの大先輩だけに大きな拍手を送りました。NIIGATA大会で初出逢い。出場記録ではチャンスはあるかなと、内心ホッとしました。そして、新人賞もふくめ3回も表彰台にのぼった名古屋チームのKさん(ビッグS緑)は、すっかり有名人。北海道から雪にはばまれ壁打ちを断念しつつ、参加の片桐さんは「たそがれ」クラスで3位入賞。NIIGATAで大活躍の杉本さん(Y学園)が表彰台に登らなかったのはちょっぴり寂しいかな。わが市川勢は、男子5人、女子5人の大会最多出場メンバー。なんと、優勝をふくむ4選手が入賞の記録を刻みました。 |
![]() |
<青春> まさか、「達人」たちの大会で1勝なんて、「夢の夢」でした。初出場のNIIGATAでは5年後、いや10年先かと、思うばかりでした。横浜は忘れ得ぬ地となりました。島田選手と組み、白熱のたたかいができた杉本・関口ペアとのゲーム。そして、野田の大上選手はコンソレで横須賀の外国選手がDEF、2日目を1試合のためだけに終日おつき合いいただきました。 |
![]() |
![]() |
ほんとうに感謝しています。親睦パーティでは隣席の方がラケットを当てるなど、生香園の中華フルコースともども大いに盛り上がりました。
|
マスターズ、この言葉が心に残ります。
「青春とは人生のある期間をいうのではなく心のもち方である」、
「炎ゆる情熱、たゆまぬ挑戦」の意志である。
JARA、マスターズの関係者、スタッフ、横浜のみなさん、
「青春」をありがとうございました。
(了)